歴史

現代人が忘れた【義侠心】とは・・楠正行の6つのエピソードから学ぶ生き様

投稿日:2018年5月21日 更新日:

こんにちは。ぶりです。
今日のテーマは「義侠心」についてです。
「義侠心(ぎきょうしん)」

でっぱ虫
義侠心って何?

義侠心とは

打算や損得がなく、相手を思いやる心。
人間としての正しい道、すなわち正義を貫く男気

でっぱ虫
むむ。
よく意味がわからんけど、今の人達には足りないものだってことだけはわかるぞ・・。

旦那 ブリ
この義侠心を理解するために・・
義侠心を持って生き抜いた1人の男、楠正行(くすのき まさつら)さんの生涯を紹介するよ。

でっぱ虫
楠正行?

教科書では一行程度でしか出てこないかと思います。
四条畷の合戦でしょうか。
この方のお父さんは大変有名な方で南北朝時代の楠正成(くすのきまさしげ)です。
でっぱ虫
楠正成は知ってるけど、楠正行ってあんまり有名じゃないね。

旦那 ブリ
戦前においては有名だったんだよ。
僕が最も尊敬する人なんだ。
聖地巡礼ではないが、楠正行所縁の地を昔訪れたこともあるよ。

年端も若く、義侠心に厚い・・・
そんな楠正行の生涯を通して、
現代人には足りない義侠心とは何なのかを紹介します。

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楠正行の義侠心を示すエピソード

楠正成から義侠心を学びとるために重要な出来事を6つ紹介します。

1 桜井の別れ
2 渡辺橋 小楠公義戦の地
3 内侍との出会い
4 如意輪寺 辞世の句
5 四条畷の合戦
6 宝筐院 お墓
旦那 ブリ
順番に見ていこう。

桜井の別れ

時は南北朝時代。
北朝の足利尊氏と戦うため、南朝の楠正成(正行の父)が湊川の決戦(1336年)に向かいました。
勝てる見込みはほとんどなかったのですが、正行も父と共に向かうつもりでした。
この時、正行は若干11歳。

でっぱ虫
幼ッ!!
でっぱ虫の11歳の頃なんてまだ鼻水垂らしながらおままごととかしてたぞ。

しかし、父は後を託すために正行を故郷へ帰しました。
その別れの地が桜井の駅だったのです。

旦那 ブリ
この時の情景を唄った有名な音楽があるんだ。
♪青葉茂れる桜井の~♬

(跡地:大阪府三島郡島本町にある公園)

その後正行の元に父の首が届けられました。
正行は自決しようと試みましたが、
母に「父はあなたに後を託したのではないか」と引き止められ、その後文武に励みます。

でっぱ虫
11歳にしてなんて辛い体験なんだろう・・・

旦那 ブリ
ここから正行が思う正義や信念を貫く覚悟が生まれたのかなぁ。

※湊川の戦いとは京に向かってくる足利尊氏を迎え討つよう後醍醐天皇が楠正成に命令した戦い。
足利が3万の兵に対して正成側はわずか700兵。

渡辺橋 小楠公義戦の地

成長した正行は足利軍相手に連戦連勝を重ねていました。

でっぱ虫
強い武将に成長したんだね!

足利軍を破った際に、敵兵である敗走兵約500名がこの地の川で溺れてしまいました。
厳冬のため、皆凍え死んでしまうような状況でした。

 

この状況でなんと、正行はこの敵兵を救助し、傷の手当や身体を温めるなどして手厚い介護をしました。
また馬をなくした者には馬を、鎧をなくした者には鎧を与え送り返しました。
この恩を受け、後の四条畷の戦いにて正行軍に参加した者も多かったと言われています。

でっぱ虫

助けてもなんの得もないのに・・・
相手を思いやる心を感じられるエピソードだね。
敵でも弱っている人に救いの手を差し伸べる、人間としての正しい道を貫いたんだ。
旦那 ブリ
赤十字社は皆知っていると思うんだけど、実は明治になって日本が加盟する際にこの話が一役買ったんだ!

敵味方区別なく傷ついた兵を救ったナイチンゲールは有名だと思うけど、それよりも500年前の話だったんだ!

現天満橋
(跡地:地下鉄京阪 天満橋駅から川沿いに位置する)

旦那 ブリ
正行が敵を助けたとされる地に僕も行ったけど立派な碑だったよ。

内侍との出会い

河内近辺で賊にさらわれようとする女性を助けたところ、南朝に仕える女官でありました。

でっぱ虫
いつの時代もけしからん奴がいるもんだ!

この女性を吉野に送り返し、のちに後村上天皇より正行の奥さんにとの話がありました。

しかし後の四条畷の戦いにおいて、生きて帰ることができないと思った正行はこの話を辞退しました。
正行戦死の後、内侍は尼となり正行を弔いました。
内侍

旦那 ブリ
女性のその後の幸せも考えている、その生き様は男でも惚れますな。

でっぱ虫
結婚とは本来責任を伴うものだけど、現代では不倫をしたりとその覚悟がないまま結婚する人が多いよね。

如意輪寺 辞世の句

四条畷合戦前に吉野山にある如意輪寺堂の扉に、
辞世の句(この世に別れを告げる言葉)を矢じりで掘りました。

「かえらじと かねておもへば 梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」
矢のように(生きて)戻ることはできない、死に行く者たちの名をここに留めておく

決戦前の覚悟を記しています。
桜井での父との約束を果たそうと考えていたのでしょうか。

辞世の句
(現存する如意輪寺堂の扉)

旦那 ブリ
吉野山 如意輪寺に行くと上の写真のように矢じりで掘られた扉が残されているんだ!
時を超えて読めた時は不思議な感じがしたなぁ!

でっぱ虫
自分の正義を貫くには、それ相応の覚悟が必要であることを教えてくれているね。

四条畷の合戦

1348年、足利軍 高師直(こうのもろなお)との戦い。
数万の兵に対し、こちらは数千。
勝てる見込みはほぼありませんでしたが、正行は奮闘しました。

旦那 ブリ
賛否はあるとは思うんだけど、負けると分かっても戦う、信念を貫いたということは事実なんだよね。

矢をその身にたくさん受けながら、諦めずにあと一歩というところまで高師直を追いつめたこともありました。

しかし、足利側の圧倒的な兵力の前に敗れ、正行は弟の正時と刺し違えて自決しました。
この時、正行は僅か23歳でありました。

四条畷の戦い

旦那 ブリ
この戦いの際、高師直が討たれそうになった時に・・・
部下である上山高元(かみやまたかもと)が身を挺して身代わりになり、高師直を逃がしたという話もあるんだ。

でっぱ虫
敵側も自分の命を差し出す程の義侠心を持って尊敬する人を守ったんだ。
どちらか一方が正義なんてことはないんだね。

宝筐院 お墓

京都嵯峨野にある宝筐院(ほうきょういん)に正行のお墓があります。
ここは2代将軍・足利義詮(よしあきら)の死後、その菩提寺となります。
※菩提寺とは先祖代々のお墓がある寺

足利義詮は亡くなる前に正行の人柄や行いから、かねてから尊敬していた正行のそばに葬るよう遺言を残しました。
敵味方を超えた尊敬の念がここにあります。

宝筐院 お墓
(左:足利義詮、右:楠正行の墓)

でっぱ虫
楠正行のエピソードを聞いた時、この話が本当に素晴らしいなと思った!

旦那 ブリ
まだ敵対していた最中の話なんだ。
敵に尊敬された正行も立派だし、その側に眠りたいと言った義詮も立派。
敵でも素晴らしい所は素直に認める、足利義詮の徳の深さと度量の大きさを感じずにはいられないな。

最後に

現代では自分達を含め、経済的利益を主に追求し強い者には媚びる者たちが多いように感じます。

でっぱ虫
ヘコヘコと損得感情で動く人達が多すぎる。

自分だけ良ければ良い風潮が強いと感じています。

現代人は、自分の中で1本筋の通った正義心というものがないから、
何をするにも覚悟が足りなく、
打たれ弱いのです。

でっぱ虫
私もしかり。

楠正行の伝記を通して、私なりに信念や義侠心を考えてみました。

そして自戒の念を込めて皆さんに紹介しました。

改めて・・
義侠心とは

打算や損得がなく、相手を思いやる心。
人間としての正しい道、すなわち正義を貫く男気
旦那 ブリ
楠正行の生き様から、何か感じられることがあれば嬉しいです。
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